左京 4代目の望月琢矢です。
昨日の「人形の捨て方」の続きです。
人形など、顔のあるものは粗末に扱うと祟りがある、
というのはよく聞く話です。
呪いや祟りのご経験をお持ちの方はぜひ詳しい内容を
コメントかメールで教えてください。
断言しますが、
人形の呪い・祟りはありません!
あるのは自分の呪いです。
いつも呪うのは自分自身であり、
呪われるのも自分自身です。
ズバリ呪いの正体は罪悪感である
職業柄、母の、子への愛情を間近に見ることが多いです。
それはもう横でふと見ててもあふれ出て止まらない。
今にも弾けそうなほどの愛情を込めて
商品を選んでいかれる方々が多い。
受け取る側も、バカでなければその愛情の量は嫌というほど感じているはず。
この愛情を存分に吸収しながらポジティブに幸せになる人と、
この愛情に不便さを感じながら少しづつ、離れて行く人と。
もしくは部分的にかいつまんで、両方の人と。
個別の人間関係の中で生まれる感情ですので、
当事者ではない立場でわかり得た話ではないです。
でもきっと想像するに、
この愛情を受け取りたいけど受け取れない。
受け取らなきゃいけないけど受け取りたくない。
そんな思いや行動がいつしか罪悪感となって
深く感情の底に潜んでいくのでしょう。
そんな、ずっと心のどこかでつっかえている感情を救ってくれるのが、
「供養」という方法であり、ものとの付き合い終え方です。
でも、きっとそれさえもできずに、でもネガティブな
感情の引っ掛かりを忘れることもできない人が、
いつしかその感情を自分の中で呪いに変えて自分自身を祟ってしまうんです。
全ての人間関係を忘れて、世界から見放されるくらいなら、呪われる方がマシ
ネガティブな感情を罪悪感として持つことのできるモラルのある人は、立派です。
これだけ自由主義が横行する現代において、そんなことは一生意識もせず、
思い出すこともしない人は山のようにいるはず。
そんな人たちは世界から見放されて、ただただ孤独になって行くのに気づくこともない。
呪われたら、ここから人生再スタートだ!
って仕切り直してみましょう((笑
日々スピリチュアルな話が深くなって行く…