左京4代目の望月琢矢です。
どちらでもはっきり主張していますが、左京では、
オモチャは売ってません。
じゃあ何を売ってるの、っていうところを少しだけ詳しく。
オモチャになりがちな商品だから
雛人形・五月人形というのは、生まれた子供のため、というメッセージが強いため、 子供のために、を思うばかりに子供目線の商品が多くなってしまいがちです。
実際に、ぼくから見たら「これオモチャだろ」っていう商品がたくさんあります。
ホントのおもちゃ屋さんとか、雑貨品店で売ってる、明らかに「おもちゃですよ」っていう商品ならそれはそれでよいのですが、
「伝統の」「職人の技で」「世界に一つの逸品」「手作りの」
とかっていう聴こえのいいことをうたいながらさりげなくしれっとオモチャレベルの商品を工芸品レベルの値段で売ろうとする業者がいるのは見受けられません。
だからあえて、工芸品店であることを主張します。 本気でオモチャ系の人形を欲している人はむしろ来ない方がいいお店です。
オモチャと工芸品の違いとは
工芸品とは
実用品に芸術的な意匠を施し、機能性と美術的な美しさを融合させた工作物のこと。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おもちゃとは
玩具(がんぐ、おもちゃ[、英: toy)は、遊びに用いる対象物・道具のことであり、遊び道具とも呼称される
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わかりやすい!
ただ、芸術的・美術的・美しさ っていうのは、ある程度個人の主観もあるので、 明らかな遊び道具であっても芸術性を感じれば工芸品とうたっても差し支えないのです。
その意味では、左京の商品も、更に格の高いお店から見たら、
「あんな駄モノ扱って、おもちゃと変わりないじゃないか」
って言われます。
それでも自分たちで作って美しいと思い、価値があると思う素材を使って作っています。 あとは値段との兼ね合いですよね。
そもそも誰のものか、が重要
モノとしての芸術性で工芸品かどうかを決めるよりも、簡単な方法があります。
誰が欲しくて買うのか。誰のものになるのか。
ということを考えることです。
雛人形や五月人形は生まれてくる子供のものではない。
これが重要です。
誰かと言えば、おそらく子供の母親であることが多いです。
毎年季節になるとそれを出し入れして、管理する人です。
子供の両親が、子供の好き嫌いなんか気にせずに選んでいいものです。 おそらく、雛人形・五月人形に一番関わる人になるから。
オモチャを求めている人は、子供のものとして、子供が喜ぶものを求めている人です。 工芸品を求める人は、自分の管理の下、大人にしかわからないくらいの魅力を求める人です。
この意味で、左京ではオモチャは売ってません。を主張しているんです。
子供には何のためになるの?
じゃあ選択権も与えられず、子供は何のために雛人形・五月人形を楽しんだらいいのか。
これは、この記事には収まらないくらいに色々ありますが、一つ挙げると、教育教材です。
季節を感じて季節を楽しむ生活を、親が自ら子供に見せること。 大切なものを大切に扱う、ということを子供に見せること。 「良いもの」は何か、という感覚を養うこと。
三つ子の魂百まで
っていうのが正しいかはわかりませんが、生まれた日から毎年家庭にあって、出して、しまう。 物心がついたら子供と一緒に出して、しまう。そのときに、
ここがキレイでしょ、ここが丁寧なんだよ、この素材が違うんだよ。
という説明をしながら親子の時間を持つのがいいんです。 特に、
若いご夫婦の自宅には工芸品なんてほとんどないでしょう。
家具はニトリやIKEAだし、その他はプラスチックか電化製品。
その中に、人の手で、自然のモノづくりで出来たものがある、ということ。 これが、子供にとって一番の良い環境であり、教育になります。
ぼくが携わっているのは、もしかしたら教育事業なのかも...